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小説「金木犀の想い」




夏の暑さも引き払い、初秋の訪れに安堵すると
この通りは金木犀の香りに包まれる.

家からバス通りまでの小さな小道.
近所の小学校へ通う子供達の通学路でもある.

雄一は午前の遅い授業に間に合う様に
バス亭までの距離、この金木犀の香りを楽しむ.

ふわりと漂う柔らかい香り…ふくいくとした甘い大人の香りだ.

角の家の前でふらりと女性が出てきた.

雄一よりも年上らしいが若々しく肌も艶やか….
その横顔からみるまつげの長さが印象的.

『こんにちは』…近所での挨拶励行は口うるさく親から言われている.

正面を向いたその小顔の眼の大きさに見とれていると
ちいさな声で「どうも…」と小首をかしげる.

思わず見とれてしまい、その後に話が続かない….

しばし二人でお見合い状態が続く.


「うふ、遅刻しますよ.いってらっしゃい.」

『は、はいっ』と駆け出す雄一.
バス停に着いても動悸がおさまらないのは
走ったせいではないのに自ら気がついていた.

その日は講義を聴いていても夢うつつ状態.
小首ををかしいだその顔が眼を開けても閉じても
焼きついているようで、なにしろ心もとない.

こんな日は早々に大学をふけて帰るにつきる.

帰りのバスでも降りる停留所に近づくほど
自分の心拍数が上がっていくのが判る.

バス停から家までの道すがら、ますます心臓はときめく.

“ドキッ、ドキッ、ドキッ、…”

喉を通り越し、口から心臓が飛び出すかと思ったのは
例の角の家の前.

胸が苦しく、足を止め、玄関ドアを見る.

あそこから、彼女が出てくれたなら…、と
叶わぬ想いを口に出しそうにした瞬間、

ドアが開いた.

『あっ!』 「あっ.」 

二人の吐いた言葉がキレイにハモッた.

絡みつくような、お互いの視線.

『ど、どうも…』と言いかけた言葉が宙を舞う前に
彼女が一言、「中にどうぞ」.

雲の上を歩くような足取りで家の中へ.

誘われるように居間のソファに座ると、
彼女が脇を通る…ふと金木犀の香りがそよぐ.

胸の騒ぎを駆り立てるような扇情的な香りに
雄一は気が遠くなるような錯覚をおぼえた.

「珈琲?  紅茶?」と彼女.

答えようとしても言葉が出ない.

「それとも…」

背後から金木犀の香りが近づいてくる.

背中から頭から、体全体が香りに包まれる.
頭が、鼻が、いや脳が香りに包囲されて、
体が動けなくなくなっている.

視線は動かせる…、ふと左を見ると
そこには彼女の小さな顔と大きな眼が.

彼女のふっくらした唇が近づいてくる所までは
雄一の意識は稼働していた.

体中が光に包まれるような快楽に身をまかせ、
宙を体が舞うような浮遊感覚に…酔った.

だんだん遠くなる意識、『溶けていく…』
意識も肉体もカスタードクリームみたいに
やわらかさに溶けていく….



小さな虫の声で意識が戻り始めた….

目を開けるともう周囲は暗み始めている.
座り位置を確かめると既視感のある風景.
自分の家の玄関の階段に座り込んでいたようだ.

頭がもうろうとしているのでためらわず
玄関のドアを開けて入ろうとした瞬間、
角の家のほうを見た.

夕方のとばりの中で金木犀の花のような
だいだい色の霧に包まれているような気がした.

『錯覚かなぁ』
そのまま自分のベッドへ倒れこんで寝てしまった.



まだ頭の芯が痺れるような感覚と
体の芯は火照ったような妙な気分で朝を迎えた.

テーブルで母の焼いたトーストと珈琲を飲む.
少し気持ちがシャンとしてくる.

ふと、母に聞いてみる.

『あそこの角の家さぁ、あんな綺麗な女性が前からいたっけ?』

「はぁ?」 「なに寝ぼけた事言ってんのよ!」

「あの家はもう半年も誰も住んでいないじゃないのっ」


背筋に一汗流れた気がした.

あわてて朝食もそこそこに家を飛び出す.

角の家の前にきた時、もう胸のときめきは飛び消えてしまった.

玄関には鎖がかかっていて、住んでいる気配も無い.
郵便ポストの口にはシールで塞いである.


ただ、玄関脇の金木犀の木からは、かすかな香りが漂うだけ.
その木の下にはダイダイ色の金木犀の花びらがじゅうたんのように
敷き詰められていた.

しばし立ち尽くす雄一.

とぼとぼとバス停へ向かう.

冬の刺々しさを少し含んだ秋の風が雄一の頬をかすめた.

ふと金木犀の香りが混じっていたような気がした.


   終わり
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小説「野ばらの香りに誘われて」その3




ロックはこまめにチビの家に顔を出した.
もちろんチビと作戦会議をするためと、
もうひとつの理由から.

この家の主人に顔と声をおぼえてもらうためだ.
週末の昼間、主人が居るときにも庭に現れて
顔を見せたり、鳴いて声を出した.

主人は最初はロックに近づこうとしたが、
ロックのほうから距離を置くようにした.
そのうち、離れて見るだけになってきた.

チビにはできる限り、興味がないフリをさせた….


そして、ある土曜日の朝、決行の日を迎えた.

玄関のドアのすぐ外で、ロックは大声で鳴き始めた.

「おや、いつものあのキジ猫だな…」
「おなかでも空かしたのかな?」

チビにはそっと主人の後ろに控えるように言ってある.
しかもある距離を置いて….

主人が振り返り、チビが離れた所にいる事を確認してから、
玄関ドアを開けた.
すかさず、そっと後ろ側に忍び寄るチビ.

開けたドアのすぐ外で待ち受けたロックは
すぐに主人の足に擦り寄る.
足に体をこすり付けると猫好きの人間は喜ぶ…と
チビに教わった通り、見よう見まねで…やってみた.

主人がかがもうとした時、足の間の隙間に、チビが見えた.

『いまだっ!!』
ロックは主人の足に蹴りをいれて、その反動で玄関を飛び出した.
チビもその隙をねらって玄関を飛び出す.

「あっ、こらっ.」

玄関からの階段の5段目でチビがつまづいた.
やはり運動には慣れていない体だ.
ロックはチビを抱き起こし、懸命に走り出す.

家の前の道を小学校に向けて懸命に二匹で走って逃げる.

「チビ~、待ちなさいっ~」と後ろから主人の叫び声.
走って、追いかけてくる.

逃げる二匹….
角の家の手前で急ターン、家と家の隙間に入っていく.
人間は通れない狭さだ.

一目散に後ろを見ないで、二匹は走り続けた.

『もう、いいだろう』とロックが言った時、
チビの心臓は破裂しそうな勢いで波打っていた.
『足は大丈夫?』と聞かれて、
右後ろ足から血が少し出ていることに気がついた.

『大丈夫…』とは言ったものの、
興奮と動揺と痛みの三重苦でめまいがしていた.

その夜は近所の無人の家の庭先で二匹で温めあって眠った.
ロックは、初めてのチビとの直接の出会いで興奮し、
チビは家出の興奮から、眠れはしなかった.

夜遅くまで、遠くでチビの名を呼ぶような声が聴こえていた….

明け方…、ロックが切り出した.
『最後に…、あいさつにいかないかい?』

気になることであったので、考えるまもなく、
チビは「ええ」と答えた.

あの主人は日曜でも普通に早く起きる.

野バラの香りが満ちている庭の端に二匹は立った.

窓ガラス越しに主人がチラッと見えた.
『二ヤォ』と小さくチビは鳴いてみた.

ガラス窓際に主人が驚いた顔で立ちすくんだ.

しばし沈黙で見つめあう二匹と一人….

永遠に見つめあいが続くのか、と思ったロックは
主人がゆっくり手のひらを二匹に向けて左右に振るのが見えた.

『あれはなんの合図なんだい?』

声をつまらせながらチビがこたえる.
『人間のお別れの合図よ…』
『許してくれたんだわ…私たちのこと』

心なしか、主人も微笑んでみえる….

『行きましょ、新しい町へ』

野バラの香りに背を向けて、二匹は歩き始めた.

    終わり

小説「野ばらの香りに誘われて」その2





野バラのガラス越しの逢瀬も回を重ね、
ロックは外の世界の事をチビに話していった.
チビも外の世界が見たいとせがむようになった.

雨の日や曇りの日中は、屋根がついている玄関側に回り
ドア越しの話をしあった.
姿は見えなくても、話しは弾むもので、
暗くなっても、話しつづけて、最後には疲れて、
ロックは玄関脇の段ボールで横になって寝ていることも多くなった.


ある日も夕方まで話し込んでいたところ、
玄関脇に自動車が帰ってきた.

「ご主人が帰ってきたわ…」とチビ.

良くしてくれる飼い主なのだが、
頑固に外への外出は許さないのだと言う.

チビの外への憧れに比例して、飼い主への不満は増大していた.

車から中年の男が降りてきた.
小太りの厳つい顔をしているが、ロックを見る目は優しい.
かつて公園で餌をくれたような記憶もある.

しばし、その男と向き合い、視線を交わした.

『やあ、こっちへおいで…』と男.
ゆっくり近づいてくる.
後ずさりするロック.

それを見て取って、男は近づくのを止める.

ここは仕切りなおそう…、ロックはゆっくり玄関から
男とは逆方向へ去っていった.ときおり振り向きながら….

草むらを歩きながら、ロックはある考えを思いついていた.

チビとの新しい生活に繋がる作戦を….

  その3へ続く….

小説「野ばらの香りに誘われて」その1





散歩の通りすがりに声を聴いた.


裏に回ると小さな庭がある.

「猫のひたいくらいの庭…だな」とロックはつぶやく.


荒れ放題の庭には雑草もあるが、
家の出窓近辺には棘だらけの野ばらがある.

時は5月も終わりの頃….


ロックは生まれ育った公園を出て、
この住宅街を住みかにしていた.


動物好きの多い町で、犬を飼っている家もあるが
猫好きの家も点在していた.
野良をするロックに餌をめぐんでくれる篤志家もいる.


雑草に身を隠しながら、ほふく前進….
伸び放題のバラの枝の隙間から出窓を覗き見る.

出窓の内側に腕を組んで優雅に寝ている黒ネコの姿.
黒というよりロシアンブルーって人間達が呼んでる色だな.

かなり俺より年上に見える….
短めのシッポを時折動かしながら、
薄目を開けている….
どこに焦点が合っているのか判らないような目の色は
鮮やかな黄色だ.

あの酸っぱい俺の嫌いなレモンみたいな目の色だ.

部屋の中に人気はないようだ.
どんどん窓ガラスに近づいてみる.

「痛てっ!」…棘がシッポに触れた.
なんで、バラって奴はこんなに尖ってるんだ?
そんなに身を守りたい程なにがあるんだ?

棘に八つ当たりしながら、身をひそめる.
そこはかとなく、甘い香りが漂う….

優美で気持ちが落ち着く香り.

「そうか、この香りを守る為の棘…なのかい?」

ふっと黒ネコが顔を上げたとたんに目が合った.

レモンイエローの中の黒目に戸惑いが見える.
「あなたは誰?」
窓ガラス越しに声が聞こえた.

「俺、ロック…」

しばしの沈黙と目線の交換….

「あたし、チビよ」

すっくと立ち上がる足はかぼそく細い.
家の中に閉じこもって歩くこともないのだろう.
毎日町中を駆け回るロックの足は太くたくましい.

「いつもここで寝てるのかい」

「ええ、ガラス越しにバラの香りがするのよ.あたし花が好き…」


「外の世界は楽しい?」

「まあな.大変なことも多いけど、飽きないよ」

打ち解けて話しあう内に夕暮れてきた.
そろそろ夕飯を探しに行く時間だ.

「じゃあなっ!」  「また…、来てっ」

なんだか浮き立つ気持ちで、ロックの足取りは軽い.
うきうきして思わず犬のいる家に足を踏み込み、
思わず吼えられれて、駆け足で逃げる羽目に.

「俺としたことが…」と思いながらも顔がにやつくロックだった.


翌日も野バラの窓辺で語り合った.
気持ちの穏やかなやさしい黒ネコだった.
ずいぶん年上だけど、家ネコのせいか、
世間ズレしてなく素直な性格だった.

そのうち、ロックは窓ガラス越しでは
我慢もできなくなってきた.

   続く

小説 「五月病は新緑の香り」





孝雄はホッとため息をついた.

「今日はなんとか、なった…な」

混雑した地下鉄の駅の改札の前.
長男の雄一は無事改札を抜け、
ホームに向かって行く.
その後ろ姿を離れた場所から確認して、
孝雄は帰途についた….
というより、自分の会社へ向かった.

どこで、間違えたのだろう….


子供の教育に絶対という事は無いし、
それなりに悩みもしたが、
まさかこんな事態になるとは
思いもよらなかった.

期待の長男という事もあり、
教育パパに徹してきた.
TVや携帯を禁止し、勉強は自分でみてやった.
ときおり家のパソコンで大人向きのネットを
みている事は気がついたが、黙認した.

中学高校は近所の名門私立へ
自転車通学させていた.
外出も親と同伴がほとんどで、
バスや電車に独りで乗る事など
いっさいさせなかった.

最初のトラブルは17歳.
高校3年の夏だった.
大学入試模擬試験の会場へ遅刻した.

乗り換えの有る駅だった.
乗り換えて逆方向の電車に乗ってしまった….

以来、長男に明らかに一つの欠陥があることに気がついた.
社会的な生活に必要なスキルが著しく欠けている.

バスに乗る.切符を買う.電車のホームを選ぶ.
乗り換える.住所しか知らない未知の場所へ行く….

17歳なら当然出来るはずの事の
能力が全く欠如している….

学校の成績や模擬試験の成績は良く、
知識学習面の能力は全く問題が無い.
が、独りの行動が出来ない….

孝雄はあせった.
まずは入試対策であった.

入試会場へたどりつく術を身に付けること.
させるしかない.
まずは前日に予習することにした.

一緒に切符の買い方、乗るホームの確認、
駅出口から道筋までを口うるさく教えた.

携帯も急遽持たせるようにした.
緊急時の連絡用に欠かせない.

試験当日も家族や雄一には内緒で
会社には休暇届けを出した.

こっそり雄一の後をつけた.
まるで安物刑事ドラマの尾行だな…と恥じた.

切符は無事買えたようだ….
安心したのは一瞬で、
案の定、雄一は違うホームへ降りていく….

あわてて携帯へ電話する.

「ホームは2番線だぞ、判ってるんだろうな」

『ああ、なんで…?』

「もう、電車に乗る頃だろうと思ってなっ.」

『ありがとう、頑張るよ…』

いったい、何を頑張るのだろう….
後を付けられてる事さえ気がつかない我が子に
情けない想いがよぎる.

その後、乗り換え駅でも道に迷い、
思わずまた声を掛ける寸前に正しい道を選んだので
掛けずにすんだが、教えた事をキレイに忘れ
標識や看板も全くみない雄一に十分に腹が立った.


上司には事情を話し…、その後3回も会社を休み、
雄一の入試を見張った.
正しくは、入試会場へたどり着くまでを見張った.
試験自体も心配ではあったが、そこまでは介入できない.

また、帰宅も同じ事情であるが、家に「遅刻」はないので
そのままにまかせた.

が、やはり迷って帰宅が遅くなったのが1回.
電話を掛けてきた事が2回あった….

ゆううつな出来事ではあったが、入試を無事終えたことと
試験自体は上手くいったという雄一の言葉に安堵した孝雄だった.


2月を迎え、良い知らせが続いた.
私立有名大学2校から、たて続きに合格通知が着き、
どちらを選ぶか雄一と十分悩んだ.

そうこうする内に、良くは無かった1次試験の結果から
あきらめていた国立T大にも合格した.

日本でも有数の最高学府に合格した雄一を誇りに思う一方、
穏やかならぬ不安が頭をよぎっていた….

TV中継車も出てくる武道館での入学式は、
親子そろって行ったので、不安は…発生しなかった.

ところが…、4月上旬からの入学ガイダンスや
講座選択の説明会等々にたどり着けなかったと
雄一の報告を聞いて、不安が的中した事に愕然とした.

やはり、社会的生活に追いていけない….


何が悪かったのだろう….

5月になっても、雄一の尾行をしながら大学の門まで
行く事を止められない孝雄は、思いめぐる….

このままじゃ、俺が五月病になってしまう…な.

ふと見上げる木々の緑はまぶしいくらいに輝き、
新緑の香りが、そよ吹く風に舞い、鼻をくすぐる.

香りに気持ちをあずけながら…
呆然とたたずむ孝雄だった.


    終わり